22℃

 異常に背の高い玄関ドア、フローリングの廊下、ソファにサイドテーブル、オーブンの埋め込まれた広いキッチン、気密性の高い壁面素材と閉め切った窓、常に一定の温度を保って設定されている空調。それは行くたびに杉村に「寒い」と感じさせる設定温度で、最高記録は22℃だった。
 
 40日以上もある夏休みのうちの一日という以外とりたてて特別なこともない真昼、杉村と三村は向かい合って宿題をしている。グラスに注がれた麦茶の氷がカランと音を立てて崩れた。グラスが汗をかいて、紙製のコースターから染み出した水が円形に盛り上がっている。
「マジ暑いって、なあ、杉村。クーラーつけようぜ」
 三村のだらけた懇願が聞こえたが、杉村は無視した。
「無視かよ」
 人の家でも平気でクーラーの設定温度を下げる三村に業を煮やした杉村が「おまえ、くるのはいいけど、今日はクーラーつけないからな。」と言うと三村は軽く「いいよ」と言った。
 それが30分もしないうちにこのざま、だ。ある程度、予測はしていたので杉村は驚かなかった。
「いいって自分で言ったじゃないか」
「そんなこと言っておまえも暑いんじゃねぇの? 無理すんなって」
 ニヤニヤしながら言う三村に杉村はちょっとムッとした。(この間おまえが下げすぎたクーラーのせいで俺は風邪引いたんだぞ)と心の中で反抗した。
「俺はこれでちょうどいい」
「頑固者。意地っ張り」
 そんなに言うなら自分ちに帰ればいいじゃないか、居心地の良いおまえの家に帰ればいいじゃないか、と喉まで出かかったが、杉村はいつもそれをためらう。わざわざここに来て、なにをするでもなく居座っている三村のことをある程度わかってしまっているから。それ自体は同情に近いが、それがはたしていいことなのかどうか判断がつかない。だから口をつぐんでしまう。
 しばらくすると三村の苦しそうな息づかいに気付いた。ちょうど犬が暑さに舌を出しているときのような呼吸の仕方だ。額に遠目でもわかる汗がにじんでいた。
「暑いか」
 目線は手元のノートに落としてはいるが手は動かさずに杉村が言った。
「暑いよ」
 三村もふてくされた風に声だけで返事をする。
「そうか」
「それだけ?」
 三村がそう言ってからどれくらい時間が経っただろう。麦茶の氷はすっかり溶けてしまっていた。グラスから流れた水でそばに置かれた教科書の端が濡れていた。
「トイレ」
 言うと三村はシャープペンを放り投げ、部屋を出て行った。
 
 二人の間には氷の入った冷たいグラスが二つ。クーラーのリモコンは二人のちょうど真ん中に置かれている。
 室内温度は22℃。やはり寒い、鼻の中がきんとして嫌な感じだと杉村は思った。これが適正温度だとしたら三村は異常だ。これでもしまた風邪を引いたら、今度こそは三村に言ってやろう。絶対に。
 しかしその決意がおそらく無駄になるであろうことは、実は杉村が一番よくわかっているのだった。

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