悪意

「相馬さん」
 教台から飛んだ声にクラス中の視線が集まった。もちろん聞こえていたが無視した。
「相馬さん!」
 30歳を半ばも過ぎた女教師は無視されたことに対する怒りと恥ずかしさからか声を荒げた。めんどくさ、と思いながらゆっくりと顔を上げるとかわいらしく首をかしげて、わざと小さくはいと言った。
「はい、じゃないでしょう!何してるの、見せなさい!」
 カツカツとパンプスのかかとを鳴らしながら席へ近づいてくると、机の下にかくしてあった雑誌をひったくるようにして取り上げた。今週末から始まるバーゲンの特集号。まだ半分も読んでないのに。没収コースだろうな。ジーザス、油断した。
「校則違反ですよ!しかも授業中に読むなんて!」
 雑誌をわざと大きくばたばたとひけらかして見せた。
「みんなの迷惑になるでしょう!あなたひとりの授業じゃないのよ!」
 いや、先生の声とこの時間のほうがよっぽど授業を妨害してると思うんですけど、あーほら、そんなに興奮するから口の端に泡がたまってますよ、と言ってやろうかとも思ったがやめた。どうせつまらないリアクションしか返ってこないのは目に見えていたので。
「とにかくこれは没収しますからね、いいわね」
 そう満足そうに言い放つと教師は元の位置に戻り、達成感に満ちあふれた顔で「さ」と言って授業を再開した。クラスメイトたちは蔑みとか哀れみとか憧れや嫌悪などの入り混じった好奇の視線で見ているのがわかる。
 教師の着ている色の褪せた紺色のパンツスーツとショッキングピンクの口紅のコーディネートがとても気持ち悪かった。
 
 休み時間、本人がすぐそばの個室でメールを打っているとは知らずに友美子と雪子はトイレで話に花を咲かせていた。
「いっつもおんなじことして怒られてさ、懲りないよね」
「馬鹿なんじゃない?」
「やだ、友美子、ハッキリ言い過ぎ…」
「雪子だってそう思ってんでしょ。いっつもあたしに言わせるんだから」
「え~」
 友美子と、声からしてもおそらく北野雪子だろう。お互いの足りないところを補い合ってもたれ合う漫才コンビのようなふたりはどこへ行くにも一緒だ。おそらく自分のことに違いない話の内容には特に感想もなかったが、顔を合わせるのが面倒だったので個室から言ってやった。
「あなたたちトイレまで一緒なのね」
 案の定会話はぴたりと止み、顔を見合わせて目で合図をすると二人はトイレから走り去った。
 足音が遠ざかるのを待って個室から出ると隣からも人が出てきた。
 千草貴子だった。
「あら、貴子」
「どうも」
 手を洗いながら貴子はそっけなく返事をした。わざとらしい敬語に拒絶の色がありありとうかがえる。
「あたしって、相当嫌われてるみたい」
「そのようね」
 ポケットからタオル地のハンカチを取り出して手を拭くと、貴子はそそくさとトイレから出ようとしたのでそれを遮って聞いた。
「ところであなたもああいうこと言うのかしら?」
「何、あなたでもそういうの気になるの」
「ふふ、あんなやつらのことなんかどうでもいいわ。あなたのことを聞いているのよ、貴子」
 それは本音だった。その他大勢に何を言われてもいいけど、コレと決めた人間の反応はやっぱり気になるもの。ナルシストみたいによく勘違いされるけど、相手によってはあたしは自分と同じくらい他人に興味がある。
「その言い方、相変わらず上から目線ね」
「答えになってないわ」
「ああいうのは大嫌いよ」
「そうね、それがあなたのアイデンティティだものね」
「馬鹿にしてるように聞こえるけど」
「まさか。どっちかっていうとそれはあなたのほうでしょ?」
 貴子の顔に憤りの色が浮かぶ。そしてそれを故意に隠そうとしているのもよくわかった。なるほど、そういう自分は認めたくないのね。そう思ったら残酷な気分になったので、ふふと優しくほほえんでやった。
「どいてよ」
 授業が始まるわ、と貴子は見据えて言った。あたしのお気に入りの、黒い美しい瞳で。
「結局みんなたいして変わらないわ」
「まるで自分だけ特別みたいな言い方ね」
「自分を特別だと思ってるのもみんなおなじよ」
 ふうとため息で返事をして貴子はドアを開けた。
 キイと立て付けのあまりよくないドアが開き、貴子は出て行った。背後から最後に駄目押しの一言を浴びせる。
「もちろんあなたもね」

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