ハイシャイン

 沼井充の喧嘩スタイルを“単純でバリエーションに乏しい”と評したのは桐山和雄だ。といっても、桐山が自発的に指摘したのではなく、沼井の問いに答える形でということだが。
 下校途中の道すがら、沼井はつま先に視線を落としながら、
「おれってどうすかね?」
 と投げた。ここ最近、喧嘩でまったくいいところを見せられていないことを気にしての発言だった。
 すると急に足音が少し小さくなった。それに気づいた沼井が顔を上げると、隣にいたはずの桐山が数歩後ろで足を止めていた。遠くから顔をじっと凝視されて、沼井はようやく、しまった、と思う。
 抽象表現や曖昧さは、桐山という人間に不向きである。そのことを沼井は充分理解しているつもりなのだが、直前まで笹川や黒長と話していたりするとつい忘れがちだ。
 たとえそれがたわいない雑談であったとしても、桐山は論理的に思考する。なんのために話しているのか、何を考えればいいのか、最終的に得るべきものはなにか。そのすべてを“正しく理解”しようとする。笹川などはたまにそのやりとりをめんどうだと感じることがあるようだ。(もちろん桐山の前ではおくびにも出さないが) 正直なところ、桐山と出会ってすぐのころには、沼井も何度か同じように感じたことはある。が、慣れた。そして今では、それを桐山の誠実さの一端とプラスにとらえている。
「えと、おれのケンカのやり方なんすけど、ボス的にはどう――」
 思いますか? と口にしかけてとどまった。曖昧な感想を求めることも対桐山戦では悪手のひとつだからだ。桐山に“わからない”と言わせてしまったら会話はそこで詰む。聞きたいことを明確にし、単刀直入に訪ねることが大事だ。
「じゃなくて……。えーと、もしおれとボスが初対面で戦ったとしてですよ、おれの戦い方のパターンならどれくらいで見切れます?」
 すると、桐山は間髪入れず、
「一分以内だ」
 と言った。いつもどおりの感情の読み取れない口調だった。
 予想以上に短く提示されて、沼井はがっくりと肩を落としたが、それは無理もない話なのかもしれなかった。幼いころからありとあらゆる格闘技の基礎をたたき込まれてきた桐山と違い、沼井はあくまでも素人のケンカであり、しかも独学なのだ。レベルが違う。
「おまえの攻撃は単純でバリーエーションに乏しい」
「何種類くらいですかね」
 桐山は思い出すように少し考えたのち、
「三種類だな」
と言った。
「三種類!? マジすか? そんな少ないすか?」
「おれが見ている限りではな。しかもストレートばかりだ」
 ふたたび沼井の肩が落ちた。
「やっぱもっとバリエーション増やしたほうがいいっすかねえ……」
 淡い下心を抱き、ひとりごとにみせかけて沼井は桐山に意見を求めたが、案の定、桐山はそれを自分に向けた問いだとは理解せず、黙って歩みを再開させた。
 そして沼井は、とぼとぼとその半歩後をついていったのだった。

***

 翌日、亀の子たわしを肌の表面に押しつけられているような陽射しがじりじりと暑い夏の午後、沼井と笹川竜平は駄菓子屋で買ったアイスキャンディーをなめながら歩いていた。
「はは、たしかにボスの言うとおりだわ」
 下品にアイスキャンディーをねぶりながら笹川が言った。
「おまえに言われっとなんかムカつくな」
 笹川はニヤニヤしながら沼井を横目で見たあと、木の棒から残り少なくなったアイスキャンディーをすぽんと口で抜き取ってそのままずるっと吸い込んだ。溶けたアイスが三滴ほど灰色のコンクリートへ落ち、濃いしみになった。
「ボスは最終的に勝つことを目的にしてる感じだけど、おまえはケンカすること自体が目的だもんな」
「は? 負けるつもりでやるやつがいるかよ。勝手に決めんな」
 とは言ったが、実際そういった面はある。沼井にとってケンカは、ストレス発散や低い自己肯定感を埋めるための行為としても作用しているからだ。桐山に関しても、はっきりと聞いたことはないが、おそらく笹川の推測が正しいのだろうと沼井も思う。
「でも別にそれが悪いとは言ってねーんだろ?」
「そんなこと言わねーよボスは」
 いつだって、桐山は良いとも悪いとも言わない。ただ、問われれば出来る限り正しく事実を述べようとはする。それだけだ。むしろ沼井自身がそう思っているのだ。弱音を吐くようで格好悪く、口にはしなかったが。
「教えてもらえばいいじゃん。頼めば教えてくれんだろ。おれは練習とかめんどくせーのぜってー嫌だけど」
 そう、頼めば桐山は嫌がらずに教えてくれるだろう。“勝つため”の戦法を。逆に頼まなければ永遠に教えてくれないだろう。

***

 桐山の家の近くにある公園で、沼井は桐山に手ほどきを願い出た。横並びでベンチに座って話し始める。
「ボスが負けないのはわかってるし、ボスがいれば余計な心配いらねえってのもわかってるんすけど、毎回いいとこなしってのも格好悪ぃし、やっぱタイマンになったとき、おれはおれで勝ちたいんすよ」
「このあいだも言ったように、攻撃のバリエーションを増やす必要がある。攻撃のパターンが多くあってはじめてフェイントも有効になるし、相手に迷いと隙が生まれる。相手のスタイルに合わせた戦い方も選択できるようになる」
「いや、それはもう、まったくボスの言うとおりなんすけど。なんつーか……おれ、ストレートにこだわりがあって、それで勝ちたいんです」
「それは、完全にストレートだけで、ということか?」
「そう……っすね。できれば」
「武器の使用もなしか?」
「……っすね」
 桐山はわずかに考えるふうを見せて、二度小さくうなずいた。
「そういうのもおもしろいかもしれないな」
 沼井は桐山の発言意図がまったく理解できず、間抜け面で問い返した。
「おもしろい……すか?」
「ああ。行動に制限を設けて勝利を目指すということだろう?」
 どうやら桐山は沼井の提案を“作戦上の縛り”と、とらえたようだった。あえて厳しい環境で結果を出すことによって得られるある種の楽しさ。ゲームでいえばハードモードといったところだろうか。
「ああ、そういう意味っすか。……なるほど」
 とても桐山らしい考え方だと沼井は納得する。納得はしつつ、一抹の寂しさも感じた。結局、というかやはりというか、桐山が、“おまえのこだわりとはなんだ?”と聞いてこなかったことに。たいていの人間であれば、この話の流れでそこを尋ねないという選択肢はほぼないのではないか。それをしないということはつまり、そこに興味がないということだ。
 沼井は手を組んだ腕を膝の上に置き、大きく開いた足の間へ頭を垂れた。照りつける陽射しが、垂れた沼井の後頭部を頭上から容赦なく叩く。
 沼井がこだわっているのは、ある種、彼の原点とでもいうべきもので、それは幼いころ父親が好んで見ていたボクシングの試合で出会った一人のボクサーだ。当時の日本人には少なかったミドル級のハードパンチャーで、ストレートでのKOをウリにしていた。ひたすらまっすぐで、いくら苦しい場面でも姑息な小細工はせず、優勢劣勢関係なくアグレッシブに向かっていく姿勢が好きだった。しかし、そのせいでカウンターやラッキーパンチをもらうことも多く、決して器用なタイプではなかった。結局、世界チャンピオンのベルトを一度も獲得することなく引退してしまったが、自分もあんなふうに戦いたいと憧れた。そのときの気持ちと彼のボクシングスタイルはいまも沼井の目に焼き付いている。
「今からやるか」
 いろいろと情けない気持ちで遠い思い出をたぐり寄せていた沼井の頭上で、涼やかな風のような桐山の声が響いた。顔を向けると桐山が座ったまま沼井へ向いていた。
 よしやるか! というような勢いでも、やるか? という疑問系でもなかった。すでに合意済みの事項をあらためて確認した、というようなニュアンス、そう沼井には感じられた。
 ただ、口調はいつもと変わらず冷静で、あきらかな感情は読みとれない。だからこそ、それは沼井に都合のいい解釈だっただろう。しかし、自分の中にある知識や経験にそって、自分の希望により近づくよう事実を寄せようとするのはよくあることだ。桐山だってそれは例外ではないのかもしれない。と、考えることがすでに勝手な解釈なのだが。
「はい」
 答えた沼井の声にはあきらかな喜びが見てとれた。
 桐山は黙って立ち上がり、半歩進んで振り返った。桐山の足下を固めるストレイトチップの革靴は、今日も隅々まで一寸の隙もなく磨き上げられ、まるで鏡のように光を反射している。真夏の強すぎる陽射しは、ハレーションを起こして黒い靴の一部分が白く飛ばし、そしてそれはその形のまま沼井の網膜に焼き付いた。

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