溺レル
最近都会じゃプールは屋上にあるらしい。たぶん敷地の問題なんだろう。田舎の町立中学校でよかったと思うのはたとえばこういうとこ。特にうちのプールは最高なことに外から死角になってる。内グラウンドと雑木林に挟まれた立地は秘密のデートにうってつけだ。というわけで俺は半ば強引に杉村を誘って夜のプールへ忍びこむ計画を立てた。あいつは基本マジメくんだからこういうことはできればやりたくないはずだ。が、気が小さいのかと聞かれれば答えはノーだ。もっとも俺は根性ナシのやつとこんなことはしない。ビビった挙げ句ヘマをやらかして親を呼び出されるなんて最低のオチだろ?
「かたぐるまして」
正門の柵は頭の上50cmほどで自分一人でも乗り越えられそうだったが、せっかくからここは甘えておく。
「靴は脱げよ」
「やだなぁ、俺そんなデリカシーないように見える?」
「いいから、早くしろ」
へーへー、と空返事をして靴を脱いだ。両方の靴ひもを結び合わせ、それを口でくわえて柵に両手をかける。杉村がしゃがみ込み、自分の肩に両脚を乗せ、勢いよく立ち上がった。
「ふへー。ひーなはめー」
「重いんだから早く行け!」
両手で柵の”へり”を掴むと体重をかけてひょいと飛び越えた。地面に着地するとざらっとした砂の感触と予想以上の衝撃が靴下オンリーの足と膝に走った。こりゃ素足だと危なかったかな。最初はビーチサンダルで来ようかと思ってたんだけど。ん、こういうのは雰囲気が大事だからね。
靴を手に持ち直し、後ろを振り返ると目の前に杉村が降りてきた。
「あー、受け止めてやろうと思ったのに」
「ぐずぐずしてたら見つかるだろ。行くならさっさと行く」
「せっかちな男は女の子に嫌がられるぜ~」
体育館を横切り校舎を左へ回り込む。内グラウンドの向こうにプールが見える。ビニールカーテンで隠された入口を入ると中は真っ暗だ。かろうじてプールに通じる出口から月あかりが弱々しく差し込んでいる。
「電気、はつけないほうがいいか」
暗闇に慣れるよう目をこらしながら俺は言った。
「懐中電灯あるけど」
「マジ?」
杉村の予想外の言葉に本気で驚いた。
――そうなの杉村? テンション上がっちゃうな、俺。
ニヤニヤしている俺をほったらかして杉村はショルダーから出した懐中電灯を点けた。黄色い光はまっすぐにロッカーのひとつにぶつかり広がった。
「それさ、どっか吊るすと良くね?」
「どっかって?」
二人してきょろきょろと辺りを見回す。
「あれは?」
杉村が指差した先には使っていないカーテンレールがあった。端には入口にかかっていたものと同じカーテンがまとまって留められていた。
「お手柄」
そう言って俺はスニーカーから靴ひもを一本抜き取ると、端を懐中電灯にくくり付け、もう一方の端をカーテンレールに通した。ちょっと不安定な気もしたが、触らない限り落ちてくることはなさそうだった。
うちの学校はロッカーに鍵なんかかかってない。田舎の家が玄関を開けっ放しにするのと同じだ。ま、そのほうがこっちには都合がいいんだけど。
着替えてプールサイドへ出ると強烈な塩素の匂いがした。水面はしんと静まり返っている。
「俺この匂い好き」
「夏の匂いだな」
「めずらしく詩的なこと言うね」
「口に出さないだけだ、おまえと違って」
あっそう、と言って俺はプールに飛び込んだ。勢い良く水が跳ねる音が静寂を破る。水の中で目をあけるとひりひりと痛んだが、しばらくすると何も感じなくなった。
しばらくもぐって水面に顔を出すと杉村がプールサイドに座り込んでこちらを見ていた。
「泳ごうよー」
杉村はうん、とあいまいな返事をしたがまったく立ち上がる気がなさそうだ。子供をプールに連れてきた親じゃないんだから。あ、俺が子供ってか?
クロールで杉村の前まで泳いで行ってプールサイドに手をかけた。水を杉村の足にひっかけながら見上げてる。これ以上なくわかりやすい不機嫌な表情でだだをこねてやろうと思った。
「そういうのやだ」
「泳ぎたかったんだろ?」
あー、もうなんでそういう返しするかな。俺の性格知ってるでしょ?そういうふうに言われんの嫌いじゃん、俺。学習能力ないなぁ。
「そういうのされるとテンション下がる」
「なんだ、どうすりゃいいんだ」
すぐにそうやって相手にジャッジをゆだねる癖、危険だぜ。でも俺はそういうとこ好きなんだけどな、杉村。
「うーん、こう、かな?」
言って杉村の両腕を掴んで後ろへ体重をかけてやった。急なことに杉村は抵抗もできなかった。
ドボンと派手な音がして大粒の水しぶきが飛ぶ。杉村が俺の上に乗っかる形でプールの底へ沈んでいく。水中で杉村の背中にしがみつくと杉村は俺をくっつけたまま水面に浮上した。
「おい!」
「あははは」
水に濡れた杉村の黒い髪はゆるやかなカーブを描き顔に張り付いていた。そのようすに俺はめちゃくちゃ欲情した。
体をあずけるようにしてキスをした。ほんのわずか、水の味ーつまり塩素のーがした。唇は水に濡れて冷たかったが、その数mm奥にある体温を求めて舌を差し入れる。
杉村の頬のあたりに手をやると濡れた髪が指にまとわりつく。不快なその感触が今は劣情に跳ね返る。夜空とか半分だけの月とか塩素の匂いとか水の音とか、およそその場にあるあらゆるものが欲情をかき立てていた。なぜそう思ったかはわからないけど、それはどうでもいいことだった。
しつこく唇に吸い付いていると、杉村は俺の体を一旦離して今度は自分から唇を重ねた。頭をつかまれて口内を乱暴に侵される。体が無理矢理支配される感覚に気が遠くなりそうだった。
「…は」
ようやく解放されて息を継ぐ。しかしふた息めを継ぐ間もなくまた口づけられた。足元から崩れ落ちそうになる俺を抱えてしかし杉村はプールサイドには近づこうとしなかった。
唇を離した杉村は俺の頭をそっとなでた。小さな子供にするような仕草で。
「手のかかる子供だって思ってるんだろ」
「でも嫌じゃないんだろ?」
余裕の笑みを浮かべる杉村はまず学校でこんな顔はしない。これは俺だけが知ってる。それはちょっと嬉しいことなんだけど。
ていうか俺いつの間にかこいつのペースに乗せられてる? なんでだ、さっきまで逆だったのに。
「は、言ってろ」
杉村はふん、と小さく笑ってまた口づけた。左手が肩を通り腰をつかんだ。手は太腿に伸び、そのままぐっと持ち上げられた。つかんだ脚を肘で支え自分の体に引きつけると、水着と太腿の間から手を差し入れられた。思わず体がびくりと反応してしまった。
指と水の感触が入り交じって襲ってくる。声を出したいが唇を塞がれているのでそれもままならない。杉村の指が中に入ろうとする。え、ここで? と思ったが声は出せない。仕方がないのでぐっと身構え、やってくるであろう衝撃に備えた。
案の定、潤滑油のない状態でことを進めるのはかなりキツい。それでも俺は声を出さずに耐えた、えらいだろ?
「やめるか?」
その杉村の言葉に俺の頭のどこかがカチッと音をたてた。
やめるか? だって? やめてつったらやめられんのかよ。余裕あるんですねー。へーそうですか。
杉村から強引に体をひっぺがし、思いっきり息を吸い込んで水中へ潜った。杉村の水着を下げてそのまま銜えてやった。この感触だとまだ50%くらいの感じ。まだやわらかさを残したそこを舌と唇で愛撫する。口の間から空気が次々泡になって浮かんでいった。
――さすがにこれは余裕かましてられないだろ、杉村。
しかし水中では杉村の表情も声も何もわからない。しまった、俺ってバカ? 仕方ないのでペニスが膨張していく感覚だけをたよりに杉村の状態を想像した。
――でもこれ、もし誰かが外から見たら杉村がひとりで変態やってるように見えるよな。はは、最低。
そんなことを考えながらちょっと息が苦しくなってきたなと思っていた矢先、急に頭をつかまれて引き上げられた。
「ぷはーっ」
水面に上がった俺は、さて、どんな反応かしらと杉村の顔を見た。
「きもちよかった?」
「…もうやめろって言ってもやめないぞ。おまえがそうしたんだからな。後悔するなよ」
そう言って杉村は俺の両脚を有無を言わさず抱え込んだ。後ろに倒れそうになって思わず杉村の首にしがみついた。
水着を引っぱって隙間を作って腰を引き寄せられ、いやー、いくらなんでもそれは無理でしょ…と思ったがもう後には引けない。まあ言ったところでやめる杉村でもないし。この頑固者。
「あっ…いっ…!」
「なんだって?」
ああ? 聞こえてるだろ、今のは。ていうか無理…、マジで。
悲鳴に近い声を上げる俺を尻目に杉村は全く手をゆるめずにどんどん奥へ進んでくる。腰をつかんで上下に揺さぶる。それに合わせて水面が揺れる。
脳みそを素手でシェイクされているような感覚。高熱にうなされているみたいに意識が朦朧としてくる。痛みと徐々に生まれる快感がごちゃまぜになって、あー、もうわけわかんない。息がしにくい。水の中にいるみたいだ。
気がつくと杉村は俺の体から手を離していた。繋がっている部分は首と下半身だけ。
馬鹿、駄目だって、手、離したら、俺――
溺レル。
と、俺はキスの合間のほんのわずかな一瞬に言った。杉村はニヤリと笑っただけで何も言わなかった。