プロフェッショナル

 銀行の現金自動預け払い機で預け入れを選ぶと、画面の中央でピンク色の制服を着た案内役のおねえさんが《いらっしゃいませ》と薄暗い店内に声を響かせる。そのあと現金投入口が開くので、そこへいただいたばかりの現金を入れる。すぐに扉が閉まって機械がバラバラと機械音を立てて紙幣を数えはじめる。音が止むと取引画面に投入金額が表示されるから、きっちり確認して確認ボタンを押す。ふたたび、おねえさんの声とともに《しばらくお待ちください》の文字が点滅する。
 この瞬間というか作業があたしはとても好きだ。手垢のついた言い方をするなら〝三度の飯より〟も。週に何度も逢うせいで、いつも笑顔で迎えてくれる画面の中のお姉さんに対しても、顔見知りのような親近感がわいてしまっている。
 シゴト場はこっちからの指定で、できるだけ銀行のそばにする。(客が手持ちがないなんて言い訳でぐずって値切ろうとしたときなんかもすぐに下ろしに行ってもらえるしね) シゴトが終わったらその足ですぐに銀行へ向かう。どんなに遅くなっても疲れ切っていてもそれだけは翌日に回さない。まとまった現金を持って夜の街を歩くのはリスクが大きいからだ。田舎に限ってそんな危険はないと思っているなら甘い。むしろ人の絶えない都会の方が安全だったりする。人がないということは目撃する人間もいないってことだ。田舎の夜は早い。八時を回ったら続々と店が閉まり始めて、それに合わせて通りからさっと人が引ける。そのあとで行くあてもなく街をうろついているやつらといえば店から吐き出された酔っ払いか金のない不良どもか、いずれにせよろくなのはいない。あ、自分含め。(指摘される前に言っておく) 金を取られるぐらいなら殴られるほうがよっぽどましだ。(もちろん顔は死守するけどね)稼いだ金はビタ一文だって他人に渡したくない。入るはずの金を逃すのもゴメンだ。だからあたしのオシゴトは、客が帰った報告を受けたあと、こうして銀行へ現金を預け入れるところまでがオシゴト。春の校外学習――何を学習するのかはわからない――の前に眼鏡の担任教師が言っていた『遠足は家に着くまでが遠足だからな。気を抜くんじゃないぞ』って言い分はある意味正しい。参加はしなかったけど。
 シゴトに関するルールは細かくいろいろあって、全部話していると朝になっちゃうから――規定の料金が発生します――やめておくわね。大まかなこれだけは守るべきというのだけ羅列すると、まず客からの支払いは必ず前金で手渡し。当然だわね。(全国共通お食事券で払おうとするやつがいたら潰してやる) 前金なのは客によってはたまにコトが済んだら急に払わないと言い出すやつがいるからだ。たいだいそういうやつはこっちが未成年なのをいいことに脅しをかけてくるところまでがセット。不満を漏らす客もいるけど、シゴトはこっちのイニシアティブ――この言葉はこのあいだの理科の時間に三村信史から教わった。なんとなくあたしに似合う気がして、気に入ってよく使っている――で進めるのが基本。女子中学生をお金でドウコウしてるっていう後ろめたさのせいか、少しでも弱みを見せればつけあがるような客が多いからね。そして絶対に現場で眠らない、眠らされないこと。そのためにできる限り目は閉じない。あとは、口に入れるものはどんなに薦められてももらわないこと。(アレは例外。そもそも口に入れるものじゃないけど) ぐらいかな?
 ルールは誰に教えられたわけじゃなく自分でそう決めた。シゴトに関することであたしは誰にも何も教わってない。全部自分で考えて自分ひとりで乗り越えてきた。お金になるなら同情だって媚だって売るのに抵抗なんかない。その代わりリターンがないときは、まばたきひとつだって与えない。自分の行動収支がマイナスになるかプラスになるか、頭の中でいつでもその算段をしている。すれっからしの女だと思うでしょう?でもそれくらいシビアにいかないと、自分の身ひとつでサラリーマンの平均年収以上の稼ぎなんか出せるわけがないのだ。下手したらタチの悪い客にあたって死ぬ可能性だってあるわけで。香川県のラブホテルに女子中学生の変死体――センセーショナルな見出しがつけられて四国新聞に記事が載る。あるいは全国紙にも。田舎の街だからしばらくはその話題でもちきりになるだろう。けど、みんなきっとすぐに忘れる。どんなにひどいことでも人は忘れることができると、あたしは経験から知っている。そんな一時の話題提供のために死んでやるのなんて絶対にお断りだ。
 といっても、あたしはシゴトに関してなら、このルールのおかげでひどい目にあったことはない。好美はよくあうみたいだ。そのたびにめそめそする好美を見てあたしは毎回、馬鹿みたい、と思う。口に出したことはないけど、あるとき、顔に出ていたのか雰囲気で察したのか、好美は自分から言った。
『光子と違ってあたし見た目がこんなだから』
 カチンときた。そしてあきれた。意図して切った――ように聞こえた――『だから』のあとを補足すると、こうだ。『相手になめられる』
 たしかにあんたは丸顔の童顔で実年齢より幼く見えるし、あたしがあんたより恵まれた容姿であることも認める。けど、それだけがあんたに降りかかる不幸の原因? 甘えたみたいな舌っ足らずなしゃべり方とか、ジュース一本買うのにもあたしや比呂乃が何を選ぶのか確認してからでないとボタンを押そうとしない性格とか、好きになった男の趣味に合わせて生活丸ごと変えちゃう依存体質とか、他にも理由はあるように思うんだけど。
 そもそも『光子と違って』ってどういう意味よ。好美がどう考えてどう生きようがあたしには関係ないけど、あたしがたまたま恵まれたものにあまんじてまったくなにも努力しないで――努力って言葉は嫌いだけど――ここまできたと思われてると思ったら腹が立つ。
 はっきり言って好美タイプはこのシゴトには向いてない。自分でものごとを決断できない、つまり責任とプロ意識を持てない人間にこういう自由業は長続きしないのだ。ただ、好美みたいな主体性の薄い女を好む客もいる。普段会社や家庭で抑圧されてるサラリーマンなんかに多い。あたしが取れない客を好美は取れるから、そういう意味での使いではあるんだけど、たぶんそのうち辞めたいって言い出すと思ってる。たとえば、男ができたときなんかにね。 『彼にだけは嘘をつきたくないの』なんて言って。  簡単に想像がつくし、よくある話だ。逆か。よくある話だから想像がつくのか。
 《カードをお取りください》さっきのお姉さんがふたたび登場して、機械的な声でお決まりの言葉を読み上げておぎじをした。《ご利用ありがとうございました》
 こちらこそこんな時間までお仕事おつかれさまです。あたしはおねえさんを心の中でねぎらう。どんな仕事であっても、一生懸命働いている女性があたしは好きだ。
 好美が辞めたいと言ってきたとき、あたしはそれを引き留めるつもりはない。笑顔で送り出してやろうと思っている。そう、このお姉さんみたいに。そこまでがあたしの好美に対するオシゴトだと思ってるから。ご利用ありがとうございました、ってね。
 

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