11月最終日の取るに足りない話
なぜ夜中の10時半にこんなところで並んでそばをすすっているのか。無言でカウンターに寄りかかる二人の頭には、同じ疑問が浮かんでいた。「よく来るんですか?」
「寒いとあったかいの食いたくなるじゃん?」
たぬきそばに七味唐辛子を適量かける行為に集中している藤真は、答えになっているようないないような適当な返事をした。
藤沢駅前のロータリーに面したチェーンの路面店で、席は八割ほど埋まっている。ほとんどが男の一人客だ。食券システムのため、ビジネスライクにかっ込んではそそくさと店を出て行く。平均滞在時間は5分前後、長くとも15分というところだろうか。
天に向かって伸びる黒髪をなでるように頭をかいた仙道は、カウンターに藤真の顔をのぞき込んだ。疲れと慢性的な寝不足のため、目の周囲がうっすらと赤く腫れ、瞼はずっしりと重そうだ。普通ならここでねぎらいの一言でもかけるところだが、あえて仙道はそうしなかった。
「さっき藤沢の駅前で湘北の連中と会いましたよ」
「へー、そう」
「なんかラーメン食いに行った帰りだって、三井さんと宮城さんと、あと桜木花道。あの赤頭、超目立ってて。しかも、この寒いのに半袖にサンダルで、はは」
そういって、けたけたと嬌声を上げた。笑うと仙道はとても幼く見える。
「あいつは? 流川」
「え、いない、いないですよ。たぶんつるんだりするの嫌いなんじゃないかなぁ」
「ああ……」
これといった根拠はないがなぜか妙に納得できる。手持ちの少ない流川のイメージからそれが容易に喚起できるからなのか、それとも仙道が云うからだろうか。
「まあ、あそこは赤木さん以外、全員そんな感じにも見えますけどね」
「赤木は大変だなぁ」
「はは、そこは赤木さんの腕ですよね」
幸か不幸か、藤真は流川のような部員を指導したことはない。翔陽籠球部には、ほぼ空気レベルの年功序列が受け継がれているため、何もしなくとも、流川や桜木のようなタイプは発生しないのだ。
藤真は隣りにいる仙道を見る。流川のような一匹狼タイプではないが、だからといってコントロールが簡単かというとそうではない。本人がやる気にならなければ動かないタイプだからだ。そのスイッチの在処がどこなのか、それがわかりづらいのだ。そのうえ、脳天気に見えてけっこう小ずるいとこがある。そういった意味では流川よりはるかに仙道の方が扱いづらいかもしれない。
つま先で床をつつきながら、黒々とした緊張感のない「ハ」の字眉毛を見つめているうちに、急に背中から首筋へ寒気が上ってきた。のれんだけで区切られた入口から吹き込んできているのだ。食べているあいだは気にならなかったのに、じっとしはじめた途端、ひどく寒い。せっかくあたたまった身体からどんどん熱が奪われていく。いくらかでも体温を上げようとどんぶりに残ったつゆを口に運んだが、すでにつめたくなっていて思った効果は得られず、カウンター内の大鍋から上がる湯気へ向かって、カウンターから身を乗り出した。
「え? なにそれ。コロッケ?」
「コロッケそばですよ」
「そばとコロッケって合うの?」
「合いますよ。つゆがしみこんで衣がベチャっとなったところを崩して食べるんです」
「えー。そんなんつゆがドロドロになんじゃん」
「それがいいんですよー」
藤真は不審そうに仙道のどんぶりをのぞきこんだ。水面には衣からしみ出た細かい油が浮いている。藤真はうげっと顔をしかめた。食べ物は王道派なので、B級やゲテモノには手を出さないのだ。店でもいつも同じものを頼む。あまりにもいつも同じ物を頼むので、チームメイトのほとんどが藤真の好みを熟知していて、黙って座っていれば勝手にオーダーが通って品物が出てくるシステムができあがっているほどだ。そして藤真はそれを楽でいいと思っている。
猫舌なのか、仙道はふうふうと冷ましながらそばをかっ込んでいく。コロッケには一切手をつけない。衣が“ベチャっと”なるまで待つつもりなのだろう。時折、コロッケを箸でつついてつゆに浸し、ニコニコとうれしそうにしている。すべての筋肉がゆるんだような横顔は、試合中の彼とはまるで別人である。
「あ、そういえば、俺も一週間ぐらい前に流川と会ったんだった」
「そうなんですか?」
麺をたいらげた仙道は箸を置き、コップの水を一気に半分ほど飲み干した。
「会ったっつーか見かけただけだけど、公園で自主練してた。こっちは一志と一緒だったから声かけなかったけど、今思えば正解だったな。あいつそういうのめんどくさがるタイプなんだろ?」
「まあ、俺が勝手にそう思ってるだけですけどね」
「いや、おまえがそう思うんなら、たぶんそうなんだと思うよ」
藤真はずっと前かがみになっていた身体を起こして伸びをした。視界に入ってきた壁掛け時計は午後11時12分を差していた。
「仙道、お前、何線?」
「あ、江ノ電です」
「時間大丈夫か? 江ノ電の終電って早いけど」
「あー、どうかな。陵南高校前なんですけど」
「ちょっと待てよ。調べてやるから」
ブレザーのポケットから生徒手帳を取り出した。挟み込まれている数枚の時刻表から一枚を抜き取り、指差し確認しながら、数字を追って行く。
「うおっ、もう時間ねーじゃん。出るぞ!」
藤真はかばんを肩にかけ、のんきに水を飲んでいる仙道のケツを叩いて店を出た。
店を出た二人は大きなスポーツバッグを揺らしながら、江ノ電の藤沢駅へ向かって全力疾走する。
「あぁっ!」
藤真の背後から仙道の悲鳴が聞こえた。藤真は転びでもしたのかとあわてて振り返ったが、ちゃんと付いてきていた。なぜか、泣きそうな顔をしながら。
「なんだよ!」
「コロッケ食い忘れた!」
仙道を見送った藤真はJR藤沢駅へ引き返した。ホームに藤真以外の客はなく、ホームの端に立つ駅員がコートの袖をめくって腕時計を確認している。その姿に親近感を感じた藤真は心の中でおつかれさまとつぶやいた。
ホーム中央のベンチへ向かう。腰をかけると、想像以上に座面がつめたくて、思わず尻が浮いた。
「ぶぇっくしょん!」
藤真のくしゃみは顔に似合わずおっさん臭い。首を折ってマフラーに鼻頭まで顔をつっこみ、自らの吐いた息で暖を取る。冷えた空を仰ぐと月が満ちていた。それがなんとなくコロッケに似ていて、ドア越しに見た仙道の落ち込んだ顔がよみがえる。
「やっぱすぐに食べてりゃよかったんだ」
誰に云うでもなくそうつぶやいて、藤真はコロッケ一個分、約50円分の安い優越感に浸った。
もうすぐ日付が変わる。明日から十二月だ。