猫にインタビュー
若干一年で強豪海南のスタメンに選ばれたことを清田は心から誇りに思っている。ユニフォームを手に出会った友人には片っ端から自慢したし(むしろ友人でない人間にまでも)、誰もが口をそろえて“すごいね”と驚き、称えてくれることに心底満足感を感じていた。しかし――。バスケ部に一歩足を踏み入れれば清田は結局数多いる一年の新入部員のひとりでしかなく、どこへ行くにもスタメンメンバーである先輩集団のケツにくっ付いて金魚の糞のように追い掛け回してはいるが、やはりその彼らの3年という年月とそこに築かれた目に見えない信頼関係のような空気のかたまりからはおおよそ自分だけが外されているような疎外感を受けるのだった。
「神さーん!」
体育館へ向かう途中、神の姿を見つけた清田は由に30メートルもあるかという距離から、それでもハッキリ聞こえるほどの大声で神に呼びかけた。
「ちょっと……そんな大きい声で呼ばないでよ。恥ずかしいじゃない」
神の言葉の通り、傍を通る女子たちがくすくすと笑いあっている。
「あっ、スイマセン。でも、あ、神さんだって思ったらつい口に出ちゃったんですよ」
清田のそんな素直さを神は少し困りながらもやはりかわいく思う。後の輩、という字を具現化したような清田は確かに海南バスケ部にある種のムードメーカー的存在として重宝されているのだ。
「じゃあ一緒にいこうか」
そんな神の心中など察するはずもない清田は無農薬100%ジュースのような混じり気のない声色で「はい!」と気持ちのいい返事をした。
ロッカールームに入ると清田はまずひとりの男の姿を探す。清田は入学して以来、いつ、どんなときでも彼の背中を目で追っている。しかし今日はその男の姿を見つけることができなかった。
「神さん、牧さんがいないっす」
Tシャツを脱ぐ途中だった神はジャミラのように目だけを首のところから覗かせてロッカールームをぐるりと一周見渡した。
「そうだね」
脱いだTシャツを丁寧に畳みながら神が返す。洋服屋のショップ店員のような手際の良さでTシャツは折り目正しく正方形になった。
「お休みですかね?」
「いないんならそうじゃない? あれだったら武藤さんか高砂さんに聞いてみたら?」
神があまりこの話題に興味が無いように感じた清田はそうっすねと返事をして武藤の元へ向かった。
「おつかれさまっす。武藤さん、今日牧さんお休みですか?」
「ん? そうなのか? 俺は知らん」
またもや期待していた答えを得られなかった清田は最後の砦、高砂の姿を探す。しかし高砂はとっくに着替えを済ませて体育館でアップをしていた。清田は急いでユニフォームをかぶると脱いだ物を適当に丸めてロッカーへ突っ込み、勢いよくコートへと飛び出した。
「うっす。あの、高砂さん、牧さんいないんですけど今日って……」
「ああ、そういえば昨日なんか言ってたな。休むって」
ようやく求めていた答えにたどり着いた清田はほっと安堵の表情を浮かべ、さらに質問を重ねた。
「なんでですか?」
「さあ」
しかしまたもや足止めを食らう。もどかしい思いを胸の中にとどめ、もう一度だけ聞いた。
「体調でも悪いんですかね?」
「いや、そんなふうには見えなかったけど」
練習後、清田は神が自転車置き場から出てくるのを待ち伏せていた。
「神さん」
角を曲がったところでまさかいるとは思わない清田に鉢合わせた神はおおと驚きの声を上げた。立ち止まり見れば清田はなにやら深刻そうな表情でうつむいている。
「なに? どうしたの変な顔して」
神はこれは何かあったかなと察しながら、わざと茶化すように言った。
「牧さんなんで休みなのか武藤さんも高砂さんも知らないっていうんですよ」
それだけではまだ清田の真意を量りかねた神は先を促すようにあいまいな返事をした。
「ああ、そう」
「普通休むって言われたら聞きますよね?」
「どうだろうねぇ。そういうのは人によるから……」
「でももし神さんがそう言われたら聞きませんか?」
同意を求めるように切迫した様子の清田にいささか同情を抱きながら、しかし神は自分の思うところを素直に伝えた。
「うーん、その時の相手の雰囲気によるような気がする。聞かれたくなさそうだったら聞かないかも。高砂さんは牧さんと付き合い長いからそういうの空気でわかるんじゃないかな。だからあえて聞かなかったのかもしれないよ?」
自分にはまったくなかった考えだったのか、清田はそれ以上何も追及してこなかった。神もそれ以上何も言わず、じゃあねと別れを切り出すと二人はそれぞれ家路へと向かった。
駅へ向かう清田の足取りが重い。神の言うことは頭では理解できる。人間関係には適度な距離感というものがあって、それは人それぞれ基準が違う。それもわかる。しかしあのいつも仲の良さそうに見える3年メンバーの間柄にしてはあまりにも冷たい反応のような気がするのだ。清田は“自分が心配するようなことではないのかもしれないけど”と自虐的に思いつつ、やはり完全に納得できずにいた。
すっきりしない気持ちのまま、なんとなく気づけば清田は海岸の方へ足を向けて歩いていた。このまま家に戻るのもなんだかなあという気持ち(清田の家には上と下それぞれひとりずつ兄弟がいて、一人静かに物思いにふけるということがしにくい環境なのだ)がそうさせたのかもしれない。
夏の夕暮れ時、空気はねっとりと生暖かくお世辞にも状態は快適とは言えないが、海から来る風が吹き抜ける湘南海岸は傷心の清田をやさしく受け入れてくれているように感じた。砂浜へと続く階段の途中に腰を下ろし、海を眺める。近くにありすぎてわざわざ足を運ぼうと思うことは少ないが、こうして来てみるとやはりロケーションは最高だと思う。
ぼんやりと視線を海から江ノ島の方角へスライドさせると、海岸の遥か遠くから歩いてくる二人連れが目に入った。サーフボードを小脇に抱えて談笑しながらやってくる男女二人組。その男の方に清田は確かな見覚えがあった。じっと目を凝らして姿を追う。そして間違いないと確信した清田はさっと身を隠した。
どうしてそうしてしまったのかはよくわからない。自分の性格を考えればそこは飛び出して牧さん!と声をかけるところだろう。しかしさきほどの「聞かれたくなさそうだったら聞かないかも」という神の言葉がフラッシュバックして、なんとなく今自分がここにいることを牧に知られてはいけないような気がしたのだ。
隣の女性は牧と同じくらいの背丈で、いつも学校で目にする女子に比べると遥かに大人びて見えた。牧の見た目があれなので、比べていくつ上か下かというのは言いにくいが、おそらく上なのだろうという程度は想像がつく。
表情まで見て取れるほどすぐ近くまで迫ってきた二人の顔を順番に眺める。女性の方は日本人的なあっさりとした造りの顔でよく陽に焼けていた。白い歯をまぶしく光らせて屈託のない笑顔をたたえている。対する牧も同じく楽しげに笑いながら会話を弾ませていた。いつもあまりボディランゲージなどしない牧がボードを抱えていない方の手を大きく動かしながら何事かを伝えようとしているのが新鮮だった。
無事、清田に気づくことなく二人が去った後、清田は階段の下に立ってその遠くなってしまった後姿を眺めていた。牧は清田が今まで見たことのないような顔をしていた。詳細は不明だが、その様子から清田はきっとあの女性がただの友人ではないのだろうことを察する。馬鹿みたいに飛び出して行かなくて本当によかったと、自分の行動が正しかったことに清田は胸をなでおろした。
帰り道、牧に関する誰にも言えない秘密を持ってしまったことへの罪悪感とうらはらな優越感に清田は内心、心躍っていた。言っちゃいけないけど、言いたい。でも言えない。むずむずする気持ちのやり場を探していた清田は、駅前の居酒屋の前でごろんと横になっている一匹の猫と目が合った。餌付けされて人間に慣れているのか、清田が近づいていっても逃げる気配は微塵もない。清田はスポーツバッグをひざに抱えて猫の隣へしゃがみこんだ。
「なあ、あれ彼女だと思う? それとも片思いかなぁ?」
清田の問いかけに猫は退屈そうなあくびをひとつ返した。