Ready to drink
防波堤の上から黒い髪が覗いている。風に合わせてゆらゆらと揺れる様は打ち上げられた昆布か海草のようだ。牧は濡れた身体をタオルでざっくりと拭くと、ウィンドブレーカーを羽織って海草頭の持ち主の元へ足を向けた。「よう、仙道」
「あ、牧さん」
釣れるか、と声をかけようとして牧は仙道がバケツも餌も何も持っていないことに気づいた。あるのは仙道が握っている釣竿だけ。
「釣る気あるのか」
「えー、ありますよ。こんなのに掛かる魚もたまにはいるんじゃないかなぁと思って」
「おまえみたいのがな」
「はは。牧さんは? サーフィン?」
「久しぶりにな」
「IH予選終わりましたもんねぇ」
話題にしないでおこうと思っていたことをあっさり口に出されて牧は少々面食らった。いかにも仙道らしいなと思いながら答えを探す。
「いいですよ、そんな気使わなくっても」
こう見えて意外と神経は図太いんです、と仙道は口ごもる牧を軽くあしらった。
「全然意外じゃない」
「牧さんは“意外と”顔に出るタイプですよね」
「おまえが出さな過ぎなだけだと思うぞ」
「性格ですからそう簡単にはねぇ……」
「なら俺もそうだ」
「あ、自覚はあるんすね」
「はっきり指摘されるといい気はしないけどな」
「そりゃ失礼しました」
夕日がもうすぐやってくる。どんなにもうおしまいだと思っても朝はやってくるし、夜は明ける。単純なことだ。
「ちょっと気が早い話ですけど……海南は牧さんが抜けたら誰が引き継ぐんですか」
「神だな」
「へぇ」
「そっちはおまえなんだろ?」
「まあ……そうなるんでしょうねぇ」
「他人事だな」
「そんなことないですよ。責任デカいすから。監督も……」
そこまで言って仙道はめずらしく言葉を詰まらせた。週バスに陵南の監督のインタビューが載っていたのを牧はすでに読んでいた。敗因を自らの作戦の失態だったと言い切ってしまって立場上問題はないのだろうかと心配していたのだが。
「続けられそうなのか?」
「ん……どうでしょうね。あとは俺らの関知するとこじゃないですから」
自らの力の及ばない大きな流れの中に取り込まれてしまう感覚は何度経験してもあまり気持ちのいいものではない。受け入れがたい現実に身をよじらせている気持ちは牧にも理解できる。
「私立はそういうところが難しいな」
「いや、海南みたいな常勝校もそれなりに苦労あるでしょ」
屈託のなさそうで相手を困らせてやろうというような意地悪さが混じったよく見る仙道の笑顔が牧に向けられる。しかし、さすがによくわかってるなと牧は感心した。
「雇われ社長ってとこだな。俺は。トップが挿げ替えられても会社は変わらず続いていく」
「じゃあ俺は中小企業の社長って感じすかね」
「やりがいあるだろ。おまえ次第だぞ、今後の陵南は」
「あんまプレッシャーかけないでくださいよ。苦にして首でも吊ったらどうすんですか」
「はは、おまえに限ってそんなことはありえんな」
「そりゃどうでしょうかねー」
仙道の握っている浮きがククッと引いた。
「おい、引いてるぞ」
「あっ」
手ごたえは軽かった。あっけなく海面に引き上げられた竿にはスナック菓子の袋がだらしなく引っかかっていた。
「まあ、こんなもんすよ」
「最初から期待してなかったけどな」
ははと笑うと、はたと何か思いついたようすでその場を離れた牧はしばらくすると缶コーヒーを手にして戻ってきた。
「あ、マイコーヒーだ。ありがとうございます。でもこれ甘くないですか?」
「馬鹿、それがいいんだ」
牧の意外な甘党宣言に仙道は驚いたようすで目を丸くした。一本を仙道に手渡すとコンクリートの防波堤に牧も腰を下ろす。
「何もないところから始める強みというのもある」
「……ずいぶんと上から目線ですね」
「おう、じゃなきゃやってられん」
ふうと自嘲気味に仙道はため息をついた。お互いにないものねだりをするタイプではないのだ。
「たまら~ん、たまら~ん、たまら~んぜ~」
「なんだその歌は」
「なんかねぇ、こないだ見た映画の中に出てきたんですけど、昭和の日本映画」
「変な歌だな」
「そうなんですけど、なんか口ずさんじゃうんですよ」
「気が抜ける」
「たまには気抜いたほうがいいんじゃないですか、社長」
「そう言って油断させるつもりか」
「あ、バレました?」
「そんなことでは海南の常勝は揺るがん」
牧さんにはかないません、と仙道は頭を下げた。
「おまえはたまにおっさんくさいところがあるよな」
「えー牧さんには言われたくないなぁ」
思わず口にしてしまった言葉に牧がすかさず反応した。足で仙道の尻をけっとばし、海に落とそうとする。
「わっ、危ないですよ!」
「一回くらい落ちたら魚の気持ちもわかるんじゃないか?」
「牧さんが言うと冗談に聞こえないです」
自分がいるうちに神にしっかり教えとかんといかんなと牧は思う。のんべんだらりとやる気がないように見えて実は虎視眈々と標的に狙いを定めているに違いないのだから。