ロマンチック

『ええか岸本。恋をするいうんは世界にあたらしい孤独をひとつ増やすことなんや』と、真顔で矢嶋が言ったとき、オレは誇張でも比喩でもなくコントさながら飲んでいたものを吹き出した。
 で、今、その言葉を聞いたのと同じ喫茶店の同じテーブル席にいる。真夏の商店街で。
 窓の外では電信柱に取り付けられたビニールの飾り(商店街に十数年住んでいるがいまだに正式名称が分からない)が伸びきったパンツのゴムのようにだらしなく垂れ下がっている。
 駅からの一キロ強を歩いてかいた大汗が完全に引くまで待っても南は現れなかった。代わりにテーブルの上のグラスが汗を流し始めた。下に敷かれた安物の紙製コースターが、水分を吸ってうねうねと波打つ。
 もしかしたら伝言が伝わってないのかもしれない。あの天然ボケオカンならありえる、と不安になって立ち上がろうとした瞬間、入口のカウベルがカランコロンと鳴った。
「スマンスマン、遅なって」
「またおまえんとこのオカンが言うてへんのか思たわ」
「きょうはメモあった。あっつー」
 南はすっかり氷が溶けて二層になった薄白い液体を横目に席につく。
「カルピス?」
 小馬鹿にしたような口調でオレに尋ねながら、テーブルの端に置かれたプラスチック製のメニュースタンドを手に取った。メニューの文字をなぞりながら言う。
「カルピスなんか家でつくったほうが好きな濃さで飲めんのに」
 もう何百回も(ちょっと言い過ぎか)言われていることなので、オレは気を悪くしたりはしない。南も南でとくに悪びれるようすもない。
「なにしよかなー」
 何を注文するのか見当はつく。当てる自信もある。だけど言わない。南は考えを読まれることを嫌がる。
「アイスコーヒー」
 やっぱり。暑けりゃアイス寒けりゃホット。この喫茶店に限るなら、南がそれ以外のものを頼んだのをオレは見たことがない。おもしろみがないと思うが、自分も人のことは言えない。なんせ年中カルピス男なので。
 南が店員を呼んだ。注文し終えたところを見計らって切り出す。
「そういえば聞いた? また別の子やて」
「え?」
「矢嶋矢嶋」
「あー聞いた聞いた。っていうか聞かされたいうか。ほんまようやるわ。ある意味尊敬する」
「でも別に告白して振られたとかちゃうんやろ? そらそうやろな。こないだ言うてもほんまついこないだやんか。一週間経ってへん。なんぼなんでも変わり身早すぎるわ。ていうかそれほんまに好きて言えるん?」
「オレに言うなや」
 ストローの空袋をたぐりよせもてあそぶ。どうも蝶結びにしたいらしい。
「べつにおまえに言うてへんわ。相手もおらんのに」
「おらん思てんの?」
「おるんか?」
 力を込めすぎて袋は真っ二つに裂けた。南はそれをテーブルへ投げて笑いながら席を立った。
 また逃げた。これでいて南は結構ズルいところがあるのだ。とくに自分のことに関して聞かれると、高確率ではぐらかそうとする。
「言うつもりないんやったら、はなから言わんかったらええのに……。ほんまいらんわ」
 思いつつ、オレは無理に聞き出そうとはしない。聞きたくないわけではないが、その結果、南のご機嫌が崩れるのが「いらん」のだ。
 レジ横のカラーボックスにコミックスを探している南の後ろ姿を遠望する。これってやさしさなんかなあ。単にビビってるだけかなあ。まあどっちでもええけど。
「まーたその巻。好っきやなあ」
 歩き読みながら戻ってきた南に声をかける。商店街にはいくつか喫茶店があるが、南と会うときはいつもここになる。理由は、
「ドラえもんはいつ読んでもおもろい」
 から。加えて、実はオレの都合もある。ここは一年中カルピスが置いてある。
「よう飽きへんな」
「ほんまに好きなもんは飽きへんもんや」
「その言葉、矢嶋に聞かしたりたいわ」
「ええけど、オレが言うたて言うなや」
「なんでやねん」
「だってめんどくさい。あいつすぐマジなるやろ?」
 たしかに南の言う通りだ。もともと口数は多い方だが、こと、恋愛のこととなると矢嶋はすぐに熱くなる。たまに、あまりにヒートアップしすぎて手に負えなくなることもある。ていうか、引く。
「そんな何回も読むんやったらいっそ買うたらええやん。いうても400円ぐらいやろ?」
「それはちゃうねん」
「なにがちゃうねん」
「いつでも読める思たらありがたみが薄れるやん。ここに来な読まれへんー思うからええんや」
「手に入れてしもたら終わりいうことか」
「そんな釣った魚にエサはやらんみたいな。オレめっちゃ冷たい人間やん」
「べつにそこまで言うてへんけど。被害妄想や。もしかして無意識に自分でそう思てるからそういう発想なるんちゃうか?」
 数秒間の沈黙のあと、南はコミックスから顔も上げずに言う。
「なあ、今この瞬間にも宇宙でくりまんじゅうは増え続けてるんやで。永遠に。考えたらめっちゃこわない?」
 どんなはぐらかし方だ。
「めっちゃこわい」と言いながら、南は幸せそうな表情でコミックスを読んでいる。「ほんまに好きな」くりまんじゅうが無限に増え続ける話を。
 まったくこっちに気を遣うようすがない南をながめながら、オレは矢嶋とのやりとりを反芻する。
『好きやなくなったらそれはどうなんねん。減るんか。なくなるんか』
『なくなれへん。それはもうあったことやから。せやから永遠に孤独は増え続けるんや』
『ほなら増やさへんかったらええやんか。いっこにしといたら』
『そんなん無理やわ。そら、オレも頭では自分あほやなーて思うんやで。でも思うんと実際そうなってしまうんは別の話やろ』
『だから?』
『結局、誰かを好きになるいうことを人はやめられへんいうことや』
『要は飽きっぽいだけのことやろ。ようそんだけ理屈つけれるな』
『知らへんいうんはある意味幸せなことやなあ』
 そう言って困ったように首を横に振った矢嶋がオレには幸せそうに見えた。ちょうど今、目の前でコミックスを読んでいる南と同じように。
 思わず窓ガラスに自分の顔を確認する。そこには不幸そうでも幸せそうでもない普段通りの自分がいた。とりあえずそのことにほっとしつつ、目の前のグラスを手に取る。ほとんど水になったカルピスを喉へ流し込みながら、今度は違うものを頼んでみるのもいいかもしれないと思う。
 別に矢嶋に同調したわけじゃないけど。


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