A Place in the Sun
「楓、でかけるの?」めずらしく練習がなかった土曜日の昼下がり、背中に投げかけられた母親の問いに答えないまま流川は家を出た。手ぶらでズボンのポケットに手を突っ込みながら道を行けばいつもと同じように通行人の視線が刺さる。しかしそのことに彼はすっかり慣れているし、そもそも今の彼の頭の中にはそんなことが入り込む余地はなかった。
昨日、入学以来初めて彼は職員室を自発的に訪ねた。そして何事かと警戒する担任の教師に所属するバスケ部監督の自宅を教えてもらったのだった。ポケットから引っ張り出された右手には生徒手帳の切れ端が握られており、そこに書かれている住所をさっと確認すると流川は気が急いた様子で歩みを速めた。
駅から戻ってきた安西の妻は扉の向こう側から縁側に腰をかけた安西の背中にただいまと声をかけた。
「ごくろうだったね」
いささか肉のつきすぎた首を窮屈そうに回して振り返り安西は妻を労った。
「いいえ。かわいい男の子と一緒の楽しいドライブだったわ」
台所から盆を持って戻ってきた妻は、畳の上に出しっぱなしになっている二人分の茶碗と茶托を手際よく片付ける。
「お茶、入れなおしましょうか」
「ああ」
妻は湯気の立つ湯飲みを安西のそばへ置くと、その隣にそっと腰を下ろした。
「流川君と桜木君、あの子達二人同じ瞳をしてるわねぇ。あんまりまっすぐに見られるもんだからたじろいでしまって」
そう誰に言うでもなくつぶやくと、ふふ、と嬉しそうに妻は笑った。
「あの二人は似ているよ。もっとも彼らはお互いに認めないだろうがね」
ええ、あの二人ならきっとそうね、と妻が笑う。そして湯のみを持ち上げ口元に近づけたが、まだ少し熱かったのか、そのまま口をつけず床に戻した。
「谷沢君にもそんな相手がいれば違ったのかしらねぇ……」
安西は答えず、部屋には庭の竹樋から手水鉢へ流れる清水の音だけが響いている。そしてその間を埋めるように今度は安西が湯のみを手に取った。
「彼は谷沢とは違うよ」
そう発した安西に妻が視線を投げると、湯のみを握る手に僅かばかり力が入ったように見えた。
「そうそう、流川くん、“湘北が家から一番近い高校でよかったです”なんて言ってたんだけど、どういう意味かしらねぇ?」
澄み切った真昼の空にゴゥと音を立てて飛行機雲が尾を引いた。迷いなく一直線に高く上っていくその影を、安西と妻は黙って見送った。尻尾がすうと青に吸い込まれ、そして消える。
いつかきっと飛び立つだろう彼の門出を今度こそは笑顔で迎えようと安西は決意を固めた。後悔はもう二度としたくない。
「かわいい子供がいっぱいでうらやましいこと。引退なんてまだまだ先の話ね」
だからほら、健康のためにもちょっとダイエットしたら?と妻は安西の出っ張った腹をぽんと叩いた。