お楽しみはこれから

 大栄学園との練習試合後、休憩室の自動販売機前で、岸本がまた横文字に文句をつけはじめた。南は無視してスポーツドリンクの缶を傾ける。初めて聞いた小難しい横文字に「日本語で言えや」と言いがかりをつけるのは毎度のことなので、あえて自分からは反応しないことにしている。
 ただ、今回は少し事情が違った。思い出したように岸本が持ち出した横文字の意味が南にもわからなかったのだ。
「聞いてんのか、南」
「聞こえてるわ。どこで聞いてきたんやそれ」
「テレビ」
「画面に映ってへんかったん?」
「音だけしか聞いてへん。けど、食べ歩きの番組やった」
「ほんなら食べもんちゃうの」
「だから、なんの食いもんかがわからん言うてんねん」
「調べたら」
「調べるてどこで」
「図書館とか」
「めんどくさいわ。お前が一緒に行ってくれんねやったらええけど」
「なんでやねん。お前が言い出してんからお前が調べて俺に教えろや」
「なんの話?」
 肩にロングタオルを引っかけたユニフォーム姿の土屋が話に入ってきた。そうだ、土屋なら知っているかもしれない。土屋はいろいろと物知りな方だ。食べることが好きだと言っていたし。淡い期待を抱いて南はその言葉を口にした。
「土屋、アミューズって知ってる?」
 隣で岸本があからさまに不服そうな顔をする。土屋の助けを借りたくないのだろう。岸本は土屋があまり好きではない。二人は相性が悪い。プレイスタイルもそうだし、性格も正反対だ。今日も白星は大栄学園についた。
「知ってるよ」
 土屋は悠々とした動作で南と同じスポーツドリンクを買い、ベンチに座る南の隣へ腰を下ろした。岸本は少し離れた場所で、腕を組んで仁王立ちしている。
「フランス語で時価のことや」
「時価ってあの、ええ寿司屋とかにあるあれ?」
「高級店は客を値踏みするからな。ドレスコードのあるホテルとかレストランとか知らん?」
「ドレス…なんて?」
「こういう服で来てや、いうきまりやろ」
 話の腰を折られそうだったので素早く牽制する。早く先が聞きたい。
「えーと、それってつまり、客見て、値段変えたりするってこと?」
 土屋は南と岸本へ交互に視線を投げたあと、無言で頷いた。
「不公平やんけ」
 岸本が口を挟む。これには南もそう思った。
「不公平や。でもそういうもんやねん」
「やらしいな。そういうの好きやないわ」
 人の言葉の裏を読んだり、本音と建前を使い分けたりすることが苦手かつ嫌いな岸本ならそう言うだろうなと思った。南はそこまで嫌悪感を感じなかったが、率直に店側の判断基準が気になった。
「どうやって客に差つけるん?」
「その場にふさわしい振る舞いをしてるかどうかやな。他の客に迷惑になるようなことしてへんか、マナー違反な態度をとってへんか、店の雰囲気を壊してへんか、とか。ようするに、店側にうちの店には来てほしくない客やと思わせたらあかんいうことや。大事な記念日に奮発して高い店予約したのに、隣の客がずっとデカい声で騒いでたら嫌やろ? わざわざ高級店を選ぶ客は、美味い食べ物だけやのうて、そこで過ごす特別な時間と体験を身銭切って買うんやから。支払った対価に受けたサービスが見合わんと失礼になる。それは客の懐事情とは無関係や。金持ちでもそうでなくても、店側には客の期待に誠意を持って応える責任があるんや。ええ客には相応の、そうでない客にはそれなりの」
 テレビで見るコメンテーターのように流暢な喋りを繰り出す土屋を見て、こいつほんまに同い年か? 歳ごまかしてんちゃうんか? と思った。すると、岸本がその南の思いをトレースしたかのように「おまえほんまに高校生か?」と言った。まったく同じことを考えていたらしい。教えてもらっておきながら、この図々しさとデリカシーのなさはさすがだ。指摘をすれば「俺は別に土屋に教えてくれとは言うてない」と反論してくるのは目に見えたので、黙って聞くに留める。
 それはそれとして、土屋の話には納得ができた。土屋の言っていることは正論だ。自分の振る舞い一つで、高くもなり安くもなるということだ。ある意味で、実力主義と言えるのかもしれない。判断基準がすべて店側にあることだけが、少しフェアではないような気もするが、この世の中には自分の知らない世界があるのだなと思った。
「ようわかったわ。金やないんやな」
 さすがの岸本も納得したようで「そや。金やない、心や」と小声でつぶやいた。偉そうに組んでいた腕もいつのまにか解かれている。
「土屋に聞いてよかったわ」
「僕なんかでお役に立ててなにより」


















































 アミューズとは、主にフレンチやイタリアンのコースで、前菜の前に出される軽いおつまみのことである。食前酒のお供的な位置付けとして提供される。つまり、土屋の言ったことはすべて嘘だったのだ。
「ほんまおもろいわ。あの二人」
 こんな思いつきの口からでまかせを信じるとは。岸本はともかく、南は少しくらい疑ってくると思っていた。案外、見た目より素直で純粋なやつなのかもしれない。
 ただ、時価を掲げる店が客によって提示価格を変えることは絶対にない、とまでは言い切れない。なぜなら〝時価〟なのだから。いわゆる悪魔の証明のようなものだ。だから、土屋の話は嘘ではあるが、ある部分では嘘でもないと言える。ちなみに、アミューズがフランス語だというのは本当だ。
「かわいそうやから、次会うたら種明かししたろ。それまでに気づくやろか」
 その時はまたお楽しみや、と土屋は少しだけ意地の悪そうな笑顔を浮かべながらスポーツドリンクの缶を開け、並んで去っていく二人の遠い背中を見送った。
 あの二人は本当に遊び甲斐がある。


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