映画版はなかったことにしている自分ですが、いまさらなぜあれがああいう残念な結果になってしまったのかをあらためて考えてみます。わたしの解釈を述べる前にまずはこちらをご覧いただきたい。バトルロワイアルを撮った深作欣二の動機です。
深作は本作品を制作するに至ったきっかけを問われ、太平洋戦争中に学徒動員により水戸市の軍需工場で従事していた中学3年生当時(旧制中学校の教育課程制度下であるが、学齢は現制度での中学3年生と同じ)、米軍の艦砲射撃により友人が犠牲になり、散乱した死体の一部をかき集めていた際に生じた「国家への不信」や「大人への憎しみ」が人格形成の根底にあったこと、今日の少年犯罪の加害者少年の心情を思うと他人事でないという感情を抱いてきたことから、いつか「中学三年生」を映画の主題に取り上げたいと考えていたところに、深作の長男で助監督だった深作健太がすすめた原作本の帯にあった「中学生42人皆殺し」のキャッチコピーを見て、「あ、こりゃいけるわ」と思い立ったと答えている。
(ウィキペディア『バトル・ロワイアル (映画)』より引用)
戦時中に思春期を過ごした方にはこういった「戦争があったことで得られなかったもの。あるいは戦争が終わってしまったことで失ったもの」をいつまでも捨てきれないところがあるようです。自分にはどうしたって理解不可能なことなので外野からあれこれ言うのはどうかとも思うのですが、ただそれをバトルロワイアルでやる必要があったのでしょうか。ここへ来てくださっている方の中に原作を読んでいない方はおられないと思いますが、高見広春はキングのような娯楽作品をモデルにバトルロワイアルを書いたのであって、大東亜共和国やデス・ゲームの設定は手段でしかなかったと思っています。深作欣二はその大前提を捨て、自分が常々撮りたいと思っていたテーマを原作から無理矢理抽出して映画を撮ろうとした、と言わざるをえません。
誤解なきよう申し上げておきますが、わたしは原作を寸分違わずスクリーン上に再現することが良い映画だとは思っていません。監督の演出、脚本家の解釈によって新たな魅力が生まれることがあるのは重々承知の上です。ではこの何が問題なのか。それは脚本を息子に書かせたこと。これに尽きます。戦争体験がないから駄目だと言っているわけではありません。体験していないことは書けないとしてしまうことはナンセンスです。しかしあの脚本が深作欣二の身体に鉛玉のように埋まっていただろう鬱屈した青春の暴力性を書き出せているとは到底思えないのです。脚本の完成度の低さ、それがバトルロワイアルを失敗作にした最大の原因だとわたしは思います。
公開当時のコピー「本日の授業、殺し合い。」に「授業」という言葉を盛り込んで、大人と子供の対立を際立たせていることからも、映画配給会社の思惑としては社会問題を絡めた問題作!にしたかったのでしょうが、深作欣二の元々の動機を汲み取るなら、北野武演じるキタノはまったく不要であったと考えます。反抗心の矛先はあくまでも「国」や「権力」などの漠然とした力であったほうがよかった。ああいったキャラクターを立ててしまうと、無定形で滾る怒りや憤りの矛先がその個人に対してのものにすり替わってしまうからです。よくわからない何かへやみくもに対抗していく子供という図式の方がよかったんじゃないかと。
しかしそう考えてみると、深作監督のやろうとしていたことは実現不可能だったんじゃないかと思えてきてしまいます。
仮に脚本がものすごくよくできていたとして、はたしてどれほどの人間が深作欣二の思いを理解できていただろうかという疑問。深作監督が知らないうちに青春の蹉跌はすっかり形が変わっていたのではないかと。深作欣二と社会とのズレが埋められなかった以上、この映画はどう転んでも成功しなかったんじゃないかと、そう思えてなりません。
バトルロワイアルには42人もの生徒が登場しますが、彼らもあくまで娯楽としての物語を成立させるための仕組みのひとつでしかなかったと考えればすんなり納得できます。個人的な事情や背景などはメインテーマではない。ですからバトルロワイアルという作品は、メッセージやテーゼなどクソ食らえな、ストイックに娯楽に徹することのできる監督がメガホンを撮るべきだったのかもしれません。この映画に関しては外国でのリメイクもありだなと思っています。タランティーノ撮ってくんないかな。