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べつもの

深作版バトロワって海外で人気あるんですね。「ショーン・オブ・ザ・デッド」(またゾンビもの……)のオーディオコメンタリーで、制作者が「CGはあまり使いたくなかったけど、バトルロワイアルがCGだって知って、ならいいやってなった」みたいなことを言ってて。タラちゃんがファンを公言してるのは知ってたけど、遠くイギリスの若者にまで支持されてるとは。原作とはかけ離れた出来であるので、違和感は拭えないし、あれは「バトロワ」でないと、今も思ってますが、その視点を取っ払えば、娯楽映画として(深作監督は子供VS大人の構図で社会的メッセージを込めたつもりっぽいですが、残念ながらその思惑は完全に空振りしている)はおもしろいです。あのリアリティ皆無のマンガみたいな台詞まわしとかキャラもそういうものだと思って楽しめば楽しめる。ま、このあたりは原作もそうなんでどうこう言えませんけど……。

ディグ

昔昔に描いた漫画をこっそりpixivに上げてみました。理由は…いろいろありますが、一番は10年経ってようやく自分の描いたものを見返すことができるようになったということでしょうか。

とはいっても数ページのギャグなんですが、わたしにとってはかなり勇気のいることだったんですよ。超くだらない話ですけど、よろしければご覧になってみてください。

併せて昔に出した本を読み返していたら、わたしが沼井に惹かれる理由がはっきりと書かれていて、もちろん書いたのは自分なんですが、まったくすっかり完全に忘れていたので「なるほど!」と膝を叩きました。つくづく記憶というものはあてにならない。

中古で「天使たちの国境」を買ってしまいました。200円。でも三村外伝は読めない。はるかと委員長の話は連載追っかけて既読なんですが、三村の話がどうしてもまだ読めません。もしかしたら永遠に読めないかもしれません。理由は先述の通り。後付け設定が嫌!という自分勝手なものです。加えて、わたし自身がまだ三村を完全に描き切れてない気がしてるからというのもある。

10年に一度

おすすめした手前、自分も観直すかー、と約10年ぶりに観ました、バトロワ映画版。記憶以上に生徒たちの演技がアレでした。昔観た時はそこまで思わなかったんだけどねぇ。

まず、しょっぱなの教室で国信が首輪吹っ飛ばされる時に叫ぶ『秋也!』に悲壮感がまったくないのがいただけない。首飛ぶってなったらもっと錯乱するよな。あそこで一気にクールダウン。

次に原作があんなんだから仕方ないのかもしれないけど、千草の台詞が痛い。(『カッチーン』等) ナイフ持って新井田追っかけてく時の『待てコラァ!』は本心から出てる感じがしてよかったですけど。新井田のへたれ演技はテンプレっぽかったけどまあ及第点。もうちょっと自己愛とか卑屈さとかリビドーなんかが入り混じったいやらしい表情を見せて欲しかったかな。

まあまあよかったのって光子ぐらいかなぁ。かわいくないけど。柴崎さんはもちろん美人なんですけど、かわいくはない。自分の光子イメージとはかなり違います。鎌で江藤の首かっさばくとことか好き。安藤さんは存在感あったし、演技的には悪くなかったと思うけど、そもそもわたし安藤桐山は桐山と認めてないので(キリッ 殺人や破壊に快感を覚えてニヤリとしするような桐山は桐山じゃないんだよー。快感も罪悪感も躊躇いも感じないというのが正しい桐山の在り方じゃないデスカー。おう?(わかってもらえる?)

あと制服がセーラーと学ランじゃなくなっちゃってたのは本当に残念。本物の中学生に見えちゃったら困るということなんでしょうが、それ回避するならもういっそのこと、たとえば中国の人民服みたいな特殊な制服を一からデザインしてしまった方がよかったんじゃないかと今になって思います。ぶっちゃけあのBATSUのデザイン自体ダサくて好きじゃないですが、問題はそういった表面的なことではなく、端々に垣間見える『大人の事情を回避するためにあえて中学生に見せないための手法』です。男女の力の差も微妙で、男子より力の強い女子がいたり(もちろん逆もしかり)精神的に女子の方が大人だったり、中学生特有のそういう男女の差が曖昧な微妙さとか全然ないもんね。まだまだ自分のアイデンティティや思想が固まっていないバランスの悪い年齢の子供を主人公にした話なのにそこしっかりしないでどーすんのって根本的な問題。じゃあ中学生じゃなくてもいいじゃんってなっちゃう。実際メインの役者もみんなそこそこ年行ってることだし。(笑)『鈴木先生』(テレ東ドラマ)に出てた生徒役の子たち使って撮り直して欲しいなぁなんて思ってしまった。まあ、また10年後になら観てもいいかなって、そんな感じです。

DMMでバトロワ観られるよ

DMMの月額レンタル1カ月無料お試しキャンペーンに付属している動画観放題でバトルロワイワルが試聴できます。特別編じゃなく無印の方ですが、観直したいなーと思ってる方はどうでしょうか。支払い方法もクレカ・預かり金・ケータイ決済(※ドコモのみ)となってますので、クレカ払い嫌な方にもいいかなと。もちろん無料期間内に解約すれば金銭の支払い義務は発生しません。1か月終了したら自動的に月額会員登録されます。

DMMはなぜか動画観放題に深作作品がたくさん揃っていて、バトロワしか観たことないお若い方は他の作品もご覧になられると、深作監督の考え方を理解する助けになるかもしれません。かく云う自分も深作監督とは子供どころか孫くらいの世代間格差がありますので、どこまで核心に迫って理解できているのかはなはだ怪しいのですが、観ないよりは観た方がいいのは間違いないので。あと、正直バトロワより良い作品がたくさんありますし。えっ?

YC三村外伝

ヤンチャンコミカライズの第二部が三村外伝なのは本当でした。現在発売中の17号に第一話が掲載されています。松井知里と偶然会うところから話が始まるらしいですが、それ以降の展開は読んでみてのお楽しみという感じで告知されてます。もしかしたら叔父のこととかも絡んでくるかもな。っていうか絡まないと駄目だろ。三村のアイデンティティのほとんどはそこに依ってるんだから。

が、自分は買ってません。コミックナタリーでこのことを知った時すでに発売から一週間経っててコンビニからは撤去されてるし、それでずるずる買うタイミング逃したのもあるけど、前回のはるかいいんちょ漫画を読んで、もういいかなと思っちゃったってのが本当のところ。純粋におもしろくなかった。余計な設定が追加されてしまったという印象。ものすごく勝手なこと言ってますが、本音です。物語の出来としては本当に中途半端だった。田口ロワレベルまで行くとちょっとためらうけど、絵柄とかぶっちゃけ二の次で、話が面白くないとどうにもならん。原作付きの漫画が面白くないということは半分以上原作者の責任だと思います。原作が実際どうだったのかはわかりませんが、終盤の畳みかけるようなまとめ方は打ち切りを連想させます。人気なかったんでしょうね。でも、しょうがないよ。あれではね。前にも描いたけど、読者に誰を想定してんだかさっぱりわからん誰得な感じでしたもん。読者人気で切るシステム採用するわりには(作家の)戦わせ方が適当じゃないですか?

三村に関しては個人的に思い入れがあるので、中途半端な後付け設定は追加したくないなあ。なかったことにしようかなー。

なんかぁー

ちょっと聞いた話なんですけどぉー、ヤンチャンにー、三村の外伝が載るとか載らないとかぁー、えー……ほんまかい! うーん、読みたいような読みたくないような……。下手すると大事な何かが根底から覆ってしまう恐れががががが。

いまさら映画版の話

映画版はなかったことにしている自分ですが、いまさらなぜあれがああいう残念な結果になってしまったのかをあらためて考えてみます。わたしの解釈を述べる前にまずはこちらをご覧いただきたい。バトルロワイアルを撮った深作欣二の動機です。

 

深作は本作品を制作するに至ったきっかけを問われ、太平洋戦争中に学徒動員により水戸市の軍需工場で従事していた中学3年生当時(旧制中学校の教育課程制度下であるが、学齢は現制度での中学3年生と同じ)、米軍の艦砲射撃により友人が犠牲になり、散乱した死体の一部をかき集めていた際に生じた「国家への不信」や「大人への憎しみ」が人格形成の根底にあったこと、今日の少年犯罪の加害者少年の心情を思うと他人事でないという感情を抱いてきたことから、いつか「中学三年生」を映画の主題に取り上げたいと考えていたところに、深作の長男で助監督だった深作健太がすすめた原作本の帯にあった「中学生42人皆殺し」のキャッチコピーを見て、「あ、こりゃいけるわ」と思い立ったと答えている。

(ウィキペディア『バトル・ロワイアル (映画)』より引用)

 

戦時中に思春期を過ごした方にはこういった「戦争があったことで得られなかったもの。あるいは戦争が終わってしまったことで失ったもの」をいつまでも捨てきれないところがあるようです。自分にはどうしたって理解不可能なことなので外野からあれこれ言うのはどうかとも思うのですが、ただそれをバトルロワイアルでやる必要があったのでしょうか。ここへ来てくださっている方の中に原作を読んでいない方はおられないと思いますが、高見広春はキングのような娯楽作品をモデルにバトルロワイアルを書いたのであって、大東亜共和国やデス・ゲームの設定は手段でしかなかったと思っています。深作欣二はその大前提を捨て、自分が常々撮りたいと思っていたテーマを原作から無理矢理抽出して映画を撮ろうとした、と言わざるをえません。

誤解なきよう申し上げておきますが、わたしは原作を寸分違わずスクリーン上に再現することが良い映画だとは思っていません。監督の演出、脚本家の解釈によって新たな魅力が生まれることがあるのは重々承知の上です。ではこの何が問題なのか。それは脚本を息子に書かせたこと。これに尽きます。戦争体験がないから駄目だと言っているわけではありません。体験していないことは書けないとしてしまうことはナンセンスです。しかしあの脚本が深作欣二の身体に鉛玉のように埋まっていただろう鬱屈した青春の暴力性を書き出せているとは到底思えないのです。脚本の完成度の低さ、それがバトルロワイアルを失敗作にした最大の原因だとわたしは思います。

公開当時のコピー「本日の授業、殺し合い。」に「授業」という言葉を盛り込んで、大人と子供の対立を際立たせていることからも、映画配給会社の思惑としては社会問題を絡めた問題作!にしたかったのでしょうが、深作欣二の元々の動機を汲み取るなら、北野武演じるキタノはまったく不要であったと考えます。反抗心の矛先はあくまでも「国」や「権力」などの漠然とした力であったほうがよかった。ああいったキャラクターを立ててしまうと、無定形で滾る怒りや憤りの矛先がその個人に対してのものにすり替わってしまうからです。よくわからない何かへやみくもに対抗していく子供という図式の方がよかったんじゃないかと。

しかしそう考えてみると、深作監督のやろうとしていたことは実現不可能だったんじゃないかと思えてきてしまいます。

仮に脚本がものすごくよくできていたとして、はたしてどれほどの人間が深作欣二の思いを理解できていただろうかという疑問。深作監督が知らないうちに青春の蹉跌はすっかり形が変わっていたのではないかと。深作欣二と社会とのズレが埋められなかった以上、この映画はどう転んでも成功しなかったんじゃないかと、そう思えてなりません。

バトルロワイアルには42人もの生徒が登場しますが、彼らもあくまで娯楽としての物語を成立させるための仕組みのひとつでしかなかったと考えればすんなり納得できます。個人的な事情や背景などはメインテーマではない。ですからバトルロワイアルという作品は、メッセージやテーゼなどクソ食らえな、ストイックに娯楽に徹することのできる監督がメガホンを撮るべきだったのかもしれません。この映画に関しては外国でのリメイクもありだなと思っています。タランティーノ撮ってくんないかな。

単行本化とか

『天使たちの国境』だけでは到底、単行本1冊分に満たないので、もしかしたらこのままなかったことになる可能性もあるなと思い、とりあえず雑誌連載分を電子化しました。国境の最終ページに「第二部をお楽しみに☆」って宣伝打ってたからもしかしたら何部かに分けた連載を一括で単行本にするつもりなのかもしれません。が、ここでも言及したようにその第二部自体が幻になったらどうにもならないんですよね。個人的には三村関連の話を、変な後付け設定とか入れずに書いて(描いてか)もらえたらうれしいなあとは思うんですが。

この作者さん、絵は癖がなくて読みやすいっちゃあ読みやすいんだけど、好きか嫌いかって言ったらどっちでもないです。個人的な作画希望作家を挙げておくと、鬼頭莫宏、望月峯太郎、すぎむらしんいち、古谷実。新井英樹でもいい。とにかく中学生を中学生らしく描ける作家に!

久しぶりに原作読んでて思ったけど、台詞がやっぱ翻訳っぽいのね。わざとなんだろうけど(そう思いたい)感覚的に苦手な人けっこういたんじゃないかなぁ。わたしは翻訳物ほとんど読まないのでいまだにちょっとぞわっとします。特に「なのよ」「なんだわ」「だぜ」的な台詞回しが。ただ二次をよるときこれを変えてしまうとキャラ自体が変わってしまうので、そこはぐっとこらえて原作に準拠するんですが。

ヤンチャン第一部・完(消化不良)

ヤンチャンバトロワ第一部完……ということでずいぶん間が空いてしまいましたがお久しぶりでございます。第二部がどうなるかが不安、というか幻の第二部にならなければいいんですが。スラムダンクみたいに。

読み終えては、金かけた二次創作だなというのが率直な感想。高見広春の名前がついてるからオフィシャルとして見るしかないんだけど、今さらこれやる必要あったか?と疑問に思わずにはいられない。百歩譲ってはるかレズ→委員長に恋心という設定がもともと高見さんの脳内にあったとして、今このタイミングで後出しする必要性がどこにあるんだろうと。完全に推測で言いますが、おそらくあの連載を真面目に読んでいたのはリアルタイムで原作に触れていた元ファンだけだろう。だとしたらなおさら今の彼らに届くようなものを作るべきだったと思う。富野由悠季が、ガンダムと共に青春を過ごした少年たちに、後年、逆襲のシャアを贈ったように。多分に中二病的要素が入っているのは否めないが、大人になってから読むとまた違った解釈や感慨を持つことができる作品ではあると思うから。

具体的には3Bの生徒の親目線とか、三村の叔父関連とか……。三村叔父周辺は第二部以降でもしかしたら使われる可能性はあるかもしれない。高見さん三村好きだからね。しかしこうなってくると今のヤンチャン読者層からの支持が得られないことは確実だ。エロと馬鹿でできてるような雑誌だからな。「いびつ」みたいなゆるい雰囲気エロ漫画が人気だというところを見ても。

いつかの日記でも少し書いたけど、もし高見さんが本当に書きたくて始めた企画だったんだとしたら、小説の形で出すべきだった。商業ラインに載せなくても今ならいくらでも発表の場はあるんだし。ファンにあの頃と同じ熱量を持って迎えてもらうのは無理だとしても、そういうのならきっと喜んで受け止めてたんじゃないかなあと思う。アプローチの仕方からそういった情熱とか気持ちは感じられなかったし、実際作品を読んでもその思いは変わりませんでした。それがとても残念でした。

ヤンチャン第二話

第一話を読み終えた段階で頭をよぎったことだけど、これは『完全新作』じゃないだろう。灯台組を掘り下げて描くのはいいけど、それならそれでちゃんと『灯台組の真実』て謳った方がよかったと思う。詐欺とまでは言わないけど、あのコピーで高見広春の新作が読めると思って買った人間はちょっと騙された気になるかもよ。逆に『灯台組の話なら読みたい』って思ったかもしれないファン層も取りこぼしてる可能性もある。

ただそう(灯台組の話だと)打ち出しても元々の原作ファンを全部取り込めたかは怪しいところだ。出版から十年以上経ってるし、リアルタイムでファンだった人間はそこそこいい歳になってるはずで、わざわざ買ってまで読もうとする人間がはたしてどれくらいいるのか……。せいぜい会社の行き帰りにコンビニで立ち読みする程度じゃないか? 編集部が一体どの層をターゲットにしてこの企画を立てたのか知りたい。企画ありきだったのか高見さんからのアプローチだったのかも。しかし仮に高見さんの要望だったとしたら小説の形で出そうとするだろうから、きっとコミカライズの企画ありきだったんだろうな。3Dの公開で起こるかもしれないリバイバルブームにあやかれれば御の字、というようなところかもしれない。

我ながら厳しいことばっか言ってると思います。読んでおられる方の中には『おまえファンなんじゃねーのか?』と思われているかもしれませんが、これはファンだからこそなんですよ。

今のところ出てきた新設定は、はるかが同性愛者だってことと、幸枝(委員長)の父親が軍人だってことぐらい。幸枝は軍人の父親を嫌っているようで、そのことが七原に抱いている好意のバックグラウンドになってるんじゃないかとの邪推はできる。だけど、これはわたしに原作の内容が予備知識として入っているから可能なんであって、何の予備知識もないまま読んだ場合、物語としてどうなんだという疑問が沸く。

他の掲載作品を目当てにヤンチャンを買ってる人はこの漫画をどう見てるんだろうか。むしろ飛ばし漫画にされてたりして。自分がジャンプ買ってた時はキャプ翼がそうだったな。>飛ばし漫画

第3号は2月8日発売です。

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