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再録

  • 2012/01/07 00:17
  • カテゴリー:更新

2008年に発行した個人誌に収録した作品をサイトに上げました。一人称メインの短篇4つです。どの話もわりと気に入っているので、よろしければご覧いただけるとうれしいです。

ぴっしぶ

  • 2012/01/06 21:05
  • カテゴリー:雑記
  • タグ:pixiv

Pixivにアカウントを取りました。

過去に公開したイラストが発掘されたため、その中からご覧いただくにに耐えうるだろうと思われるものをピックアップして展示しています。

よろしければお暇つぶしにでもご利用いただければ幸いです。

くりかえし

  • 2011/12/26 10:15
  • カテゴリー:雑記

久しぶりに自分の作品を読み返して、なかなかいいなと思うものと、うがー!っとなるものの両方がありました。

三村三部作はできれば全部やり直したい。視点を変えて書き直したい。今書いたら絶対あんな風にはならないと思うから。

逆に、「誘蛾灯」「Y」なんかは結構好きですね。短くまとまってて。

もし、今から新しい話を書くとしたら、『大東亜共和国という国に搾取される子供達』みたいなところを書きたいです。プログラムでああいう扱いを受けるぐらいだから、子供と教育に関しては相当厳しいはずだと思うんですよ。あれだけじゃなくてもっと他にいろいろ行われてるはず。桐山もそれらの一環として存在させられているんじゃないかと。これは昔出したアンソロで書いた話に繋がるんですが。

あとは三村のお父さんと叔父さんの確執とか。兄弟間の確執って根が深そうでおもしろそう。しかもあの二人は間違いなくお互いにコンプレックス持ち合ってるしな。これはかなり昔っから思ってはいるんだけどなかなか書くところまで行きません。

ご訪問ありがとうございます

急にドドッと拍手いただいたんですが、BR関連でなにかあったんでしょうか……?(ドキドキ) なにはともあれ、ありがとうございます。

目新しいものもなくてすみません。いまのところ新作書く予定はないんですが、こんなところでよかったらゆっくりしていってね!

10年に一度

おすすめした手前、自分も観直すかー、と約10年ぶりに観ました、バトロワ映画版。記憶以上に生徒たちの演技がアレでした。昔観た時はそこまで思わなかったんだけどねぇ。

まず、しょっぱなの教室で国信が首輪吹っ飛ばされる時に叫ぶ『秋也!』に悲壮感がまったくないのがいただけない。首飛ぶってなったらもっと錯乱するよな。あそこで一気にクールダウン。

次に原作があんなんだから仕方ないのかもしれないけど、千草の台詞が痛い。(『カッチーン』等) ナイフ持って新井田追っかけてく時の『待てコラァ!』は本心から出てる感じがしてよかったですけど。新井田のへたれ演技はテンプレっぽかったけどまあ及第点。もうちょっと自己愛とか卑屈さとかリビドーなんかが入り混じったいやらしい表情を見せて欲しかったかな。

まあまあよかったのって光子ぐらいかなぁ。かわいくないけど。柴崎さんはもちろん美人なんですけど、かわいくはない。自分の光子イメージとはかなり違います。鎌で江藤の首かっさばくとことか好き。安藤さんは存在感あったし、演技的には悪くなかったと思うけど、そもそもわたし安藤桐山は桐山と認めてないので(キリッ 殺人や破壊に快感を覚えてニヤリとしするような桐山は桐山じゃないんだよー。快感も罪悪感も躊躇いも感じないというのが正しい桐山の在り方じゃないデスカー。おう?(わかってもらえる?)

あと制服がセーラーと学ランじゃなくなっちゃってたのは本当に残念。本物の中学生に見えちゃったら困るということなんでしょうが、それ回避するならもういっそのこと、たとえば中国の人民服みたいな特殊な制服を一からデザインしてしまった方がよかったんじゃないかと今になって思います。ぶっちゃけあのBATSUのデザイン自体ダサくて好きじゃないですが、問題はそういった表面的なことではなく、端々に垣間見える『大人の事情を回避するためにあえて中学生に見せないための手法』です。男女の力の差も微妙で、男子より力の強い女子がいたり(もちろん逆もしかり)精神的に女子の方が大人だったり、中学生特有のそういう男女の差が曖昧な微妙さとか全然ないもんね。まだまだ自分のアイデンティティや思想が固まっていないバランスの悪い年齢の子供を主人公にした話なのにそこしっかりしないでどーすんのって根本的な問題。じゃあ中学生じゃなくてもいいじゃんってなっちゃう。実際メインの役者もみんなそこそこ年行ってることだし。(笑)『鈴木先生』(テレ東ドラマ)に出てた生徒役の子たち使って撮り直して欲しいなぁなんて思ってしまった。まあ、また10年後になら観てもいいかなって、そんな感じです。

DMMでバトロワ観られるよ

DMMの月額レンタル1カ月無料お試しキャンペーンに付属している動画観放題でバトルロワイワルが試聴できます。特別編じゃなく無印の方ですが、観直したいなーと思ってる方はどうでしょうか。支払い方法もクレカ・預かり金・ケータイ決済(※ドコモのみ)となってますので、クレカ払い嫌な方にもいいかなと。もちろん無料期間内に解約すれば金銭の支払い義務は発生しません。1か月終了したら自動的に月額会員登録されます。

DMMはなぜか動画観放題に深作作品がたくさん揃っていて、バトロワしか観たことないお若い方は他の作品もご覧になられると、深作監督の考え方を理解する助けになるかもしれません。かく云う自分も深作監督とは子供どころか孫くらいの世代間格差がありますので、どこまで核心に迫って理解できているのかはなはだ怪しいのですが、観ないよりは観た方がいいのは間違いないので。あと、正直バトロワより良い作品がたくさんありますし。えっ?

名前

わたしは殺し合いゲームの設定自体に思い入れがあるわけではないので、オリバトとかパロロワは書かないし読まないんですけど名簿と舞台設定はたまに見ます。見てて思うのは、けっこう突飛な名前にしてる人多いなーってことです。いわゆるDQNネームみたいなの。もちろん、そうじゃないのもたくさんあるけど。

それを考えると原作は性格と名前が乖離してるキャラは少ないと思う。七原秋也はあんまり合ってないし、音の響き自体も好きじゃないんですが、逆に信史は信史でよかったなあと心から思う。下の名前で呼びたくなる名前っぽいキャラでいてくれたという意味で。

でもネーミングにおいて誰が一番秀逸かって言ったら典子です。典子って本当に典子って感じだよ。今まで典子という名前の知り合いがいたことはないんですが、『典子という名前の女イメージ像』は頭の中に完全に出来上がってる不思議。基本的に良い子で、持論は正論。身持ちは固くて一途。一言で言うと姑がうちの息子の嫁にしたいって言いそうなタイプ。好きか嫌いかって言われたらつまんなそうなので好きじゃないです。人としては正しいんだろうけど。想像だけど、彼女、コンプレックス持ってる人間が避けたがるタイプかなと思う。典子と信史とか最高合わないだろう。

もしかしたら『子』が付いてるのがそう思わせるのかなと思ったけど、じゃあもし幸子だったら? 違うな。これじゃ赤色エレジーかって感じだ。そしたら七原が一郎か。それはそれであり……いや、ない。あの作品で湿っぽい悲壮感漂わせたら駄目だよな。かといって和子でも久美子でも裕子でも洋子でもなんか違う。やっぱり典子なんですよ。これ以上ない的確なネーミングだと思います。典子。

YC三村外伝

ヤンチャンコミカライズの第二部が三村外伝なのは本当でした。現在発売中の17号に第一話が掲載されています。松井知里と偶然会うところから話が始まるらしいですが、それ以降の展開は読んでみてのお楽しみという感じで告知されてます。もしかしたら叔父のこととかも絡んでくるかもな。っていうか絡まないと駄目だろ。三村のアイデンティティのほとんどはそこに依ってるんだから。

が、自分は買ってません。コミックナタリーでこのことを知った時すでに発売から一週間経っててコンビニからは撤去されてるし、それでずるずる買うタイミング逃したのもあるけど、前回のはるかいいんちょ漫画を読んで、もういいかなと思っちゃったってのが本当のところ。純粋におもしろくなかった。余計な設定が追加されてしまったという印象。ものすごく勝手なこと言ってますが、本音です。物語の出来としては本当に中途半端だった。田口ロワレベルまで行くとちょっとためらうけど、絵柄とかぶっちゃけ二の次で、話が面白くないとどうにもならん。原作付きの漫画が面白くないということは半分以上原作者の責任だと思います。原作が実際どうだったのかはわかりませんが、終盤の畳みかけるようなまとめ方は打ち切りを連想させます。人気なかったんでしょうね。でも、しょうがないよ。あれではね。前にも描いたけど、読者に誰を想定してんだかさっぱりわからん誰得な感じでしたもん。読者人気で切るシステム採用するわりには(作家の)戦わせ方が適当じゃないですか?

三村に関しては個人的に思い入れがあるので、中途半端な後付け設定は追加したくないなあ。なかったことにしようかなー。

なんかぁー

ちょっと聞いた話なんですけどぉー、ヤンチャンにー、三村の外伝が載るとか載らないとかぁー、えー……ほんまかい! うーん、読みたいような読みたくないような……。下手すると大事な何かが根底から覆ってしまう恐れががががが。

いまさら映画版の話

映画版はなかったことにしている自分ですが、いまさらなぜあれがああいう残念な結果になってしまったのかをあらためて考えてみます。わたしの解釈を述べる前にまずはこちらをご覧いただきたい。バトルロワイアルを撮った深作欣二の動機です。

 

深作は本作品を制作するに至ったきっかけを問われ、太平洋戦争中に学徒動員により水戸市の軍需工場で従事していた中学3年生当時(旧制中学校の教育課程制度下であるが、学齢は現制度での中学3年生と同じ)、米軍の艦砲射撃により友人が犠牲になり、散乱した死体の一部をかき集めていた際に生じた「国家への不信」や「大人への憎しみ」が人格形成の根底にあったこと、今日の少年犯罪の加害者少年の心情を思うと他人事でないという感情を抱いてきたことから、いつか「中学三年生」を映画の主題に取り上げたいと考えていたところに、深作の長男で助監督だった深作健太がすすめた原作本の帯にあった「中学生42人皆殺し」のキャッチコピーを見て、「あ、こりゃいけるわ」と思い立ったと答えている。

(ウィキペディア『バトル・ロワイアル (映画)』より引用)

 

戦時中に思春期を過ごした方にはこういった「戦争があったことで得られなかったもの。あるいは戦争が終わってしまったことで失ったもの」をいつまでも捨てきれないところがあるようです。自分にはどうしたって理解不可能なことなので外野からあれこれ言うのはどうかとも思うのですが、ただそれをバトルロワイアルでやる必要があったのでしょうか。ここへ来てくださっている方の中に原作を読んでいない方はおられないと思いますが、高見広春はキングのような娯楽作品をモデルにバトルロワイアルを書いたのであって、大東亜共和国やデス・ゲームの設定は手段でしかなかったと思っています。深作欣二はその大前提を捨て、自分が常々撮りたいと思っていたテーマを原作から無理矢理抽出して映画を撮ろうとした、と言わざるをえません。

誤解なきよう申し上げておきますが、わたしは原作を寸分違わずスクリーン上に再現することが良い映画だとは思っていません。監督の演出、脚本家の解釈によって新たな魅力が生まれることがあるのは重々承知の上です。ではこの何が問題なのか。それは脚本を息子に書かせたこと。これに尽きます。戦争体験がないから駄目だと言っているわけではありません。体験していないことは書けないとしてしまうことはナンセンスです。しかしあの脚本が深作欣二の身体に鉛玉のように埋まっていただろう鬱屈した青春の暴力性を書き出せているとは到底思えないのです。脚本の完成度の低さ、それがバトルロワイアルを失敗作にした最大の原因だとわたしは思います。

公開当時のコピー「本日の授業、殺し合い。」に「授業」という言葉を盛り込んで、大人と子供の対立を際立たせていることからも、映画配給会社の思惑としては社会問題を絡めた問題作!にしたかったのでしょうが、深作欣二の元々の動機を汲み取るなら、北野武演じるキタノはまったく不要であったと考えます。反抗心の矛先はあくまでも「国」や「権力」などの漠然とした力であったほうがよかった。ああいったキャラクターを立ててしまうと、無定形で滾る怒りや憤りの矛先がその個人に対してのものにすり替わってしまうからです。よくわからない何かへやみくもに対抗していく子供という図式の方がよかったんじゃないかと。

しかしそう考えてみると、深作監督のやろうとしていたことは実現不可能だったんじゃないかと思えてきてしまいます。

仮に脚本がものすごくよくできていたとして、はたしてどれほどの人間が深作欣二の思いを理解できていただろうかという疑問。深作監督が知らないうちに青春の蹉跌はすっかり形が変わっていたのではないかと。深作欣二と社会とのズレが埋められなかった以上、この映画はどう転んでも成功しなかったんじゃないかと、そう思えてなりません。

バトルロワイアルには42人もの生徒が登場しますが、彼らもあくまで娯楽としての物語を成立させるための仕組みのひとつでしかなかったと考えればすんなり納得できます。個人的な事情や背景などはメインテーマではない。ですからバトルロワイアルという作品は、メッセージやテーゼなどクソ食らえな、ストイックに娯楽に徹することのできる監督がメガホンを撮るべきだったのかもしれません。この映画に関しては外国でのリメイクもありだなと思っています。タランティーノ撮ってくんないかな。

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